川の声を聴く-フライフィッシング小説
釣りが好きだ。
いつからそう思うようになったのか、自分でもはっきりとは覚えていない。だけど気づけば、物心がつく頃には、竿を持って小川に向かっていた。
家から歩いて三分。田んぼの脇を流れるその小さな川は、私にとって“世界のすべて”だった。夏には蛍が舞い、流れの澄んだ場所にはイバラトミヨが潜んでいる。都会に暮らす人には想像もつかないような、清らかで豊かな命の通り道。
初めて釣った魚はフナだった。たしか祖父が作った竹竿に糸、ウキは赤と白のプラスチック製だったと思う。エサは兄がこねてくれた練り餌。水面がわずかに揺れて、ウキがスッと沈み――私は夢中で竿を立てた。ぬるりとした感触が手のひらに残っている。小さなフナ一匹に、私は心の全部を持っていかれた。
釣りを教えてくれたのは、年上の兄だった。
普段は口うるさくて、よく怒られてばかりいた。けれど、川では違った。仕掛けを教えてくれたり、ウキの沈み方を見て「いま合わせろ!」と叫んでくれたり。兄はいつも先を歩いていて、私はその背中を必死で追いかけていた。
あの頃の私は、釣りが楽しくて仕方なかった。ただただ魚が釣りたかったし、兄に褒めてもらいたかった。
そんな私がフライフィッシングという世界を知ったのは、もう少し後のこと。小学生のある日、一本の映画を観た。ブラットピット主演の『リバー・ランズ・スルー・イット』。
登場人物が長く細いロッドを優雅に振るい、舞い上がるラインが空に弧を描く。その美しさに、私は釘付けになった。虫の美しさ、トラウトの力強さ、川の音、石のきらめき、空気の澄んだ匂いまでもが、画面越しに伝わってきた気がした。
「これだ」と思った。釣りが好きだった自分の中に、新しい火が灯った。
すぐに、小遣いをかき集めた。何年も貯めていたお年玉貯金を全部崩して、町の釣具屋でフライフィッシングの入門セットを買った。竿とリール、ライン、そして数本のフライがセットになっていた。
手に入れたときのあの興奮。これから何かが始まる気がして、部屋に飾って何度も見つめた。
だけど、いざその道具を川に持ち出しても、私は何もできなかった。投げ方も、ラインの扱いも、魚の出し方もわからない。そして釣れるはずの無いフライを持ちただ、川の前に立ち尽くしていた。
それでも――
川の音を聞きながら、私ははっきりと感じていた。この釣りは、他のどれとも違う。魚を「釣る」こと以上に、「感じる」ことが必要な釣りなのだと。
私はそのときから、ただの釣り人ではなく、「渓流と魚の美しさ」を追いかける旅に出たのだと思う。
静けさの中に、遠くで鳥が鳴いている。
今朝は、気温がぐっと下がった。夜露が葉に残り、草を踏むと靴がすぐに濡れる。そんな朝が、私は好きだ。森の中が呼吸しているのが分かる気がする。
久しぶりに、一本のロッドを手にして渓流に立った。
フライを始めて、もう三十年以上になる。道具の数は増えたし、キャスティングにも慣れた。毛鉤も自分で巻くようになった。でも、川に立つと、不思議と昔のままの気持ちに戻る。
フライフィッシングには、焦りや騒がしさが入り込む余地がない。
目の前を流れる水のリズムに心を重ね、風の音を聴きながら、羽化したばかりの虫を探す。どこに魚が定位しているのか、どのラインで流せば食うのか。考えているようで、考えていない。ただ、川に身を置いているだけだ。
この日、私はお気に入りの支流に向かっていた。ずっと昔、兄と一度だけ足を踏み入れた沢。岩は大きく、流れは穏やか。あのときは釣果もなかったが、帰りに兄が「魚より、お前のフォームが面白かった」と笑ったのを覚えている。
その兄も、今は東京で家族を持ち、釣りからはすっかり遠ざかってしまった。
私は今も、時間があれば川に立ち続けている。あの頃と違うのは、釣ることが目的ではなくなったということだろうか。魚が出ても出なくても構わない。ただ、この流れとともに居られる時間こそが、何よりの贅沢だと思っている。
小さな淵の前で立ち止まる。倒木の陰に、わずかに揺れる影。あれは、ヤマメか。目を凝らすと、スーッと横切るような光の帯。そうだ、ああいう魚にまた出会いたかった。
私はそっとラインを伸ばし、少しだけ緊張を含ませながらロッドを振る。フライが風に乗って、水面に落ちた。
反応はなかった。
でも、それでいい。釣れなかったことより、今、自分がこの場にいられることの方が、ずっと大切なのだと思える。それで十分なほど気持ちがいい。
ふと、川の音が強くなった気がした。あれは、気のせいじゃない。この川は、私に何かを話しかけている。
その声を聴き取れるうちは、私はまだここに帰って来られる。
そんなことを考えながら、私は次の一投の準備をした。
釣れない日が続いた。
それも、ただ釣れないのではない。魚の気配が、どこか遠くへ行ってしまったように感じるのだ。ライズもない。流れも鈍い。虫の姿も見えない。キャストしても、フライが水に馴染まず、まるで拒絶されているようだった。
この流れに、私は何度も通ってきた。それなのに、なぜか川の空気がいつもと違う。道具を持ち替え、フライを変え、流し方を調整しても、手応えは一向に訪れない。
「なんでだろうな……」
ひとり言が、森に吸い込まれていく。
私は、少し焦っていたのかもしれない。美しい魚に出会いたいと願う気持ちが、いつの間にか“釣らなければ”という義務のようになっていたのだ。
ふと、川辺に腰を下ろした。ロッドを傍らに置き、帽子を脱いで深呼吸する。
……思い出すのは、兄との釣りのことだ。
釣れないとき、私はよく兄に怒られた。合わせが遅い、ウキの見方が悪い、立ち位置が悪い。けれど、不思議と嫌な記憶ではない。
「今日は釣れないな」
そんなことを言って、笑っていた。怒り方がぶっきらぼうで、優しさを隠してた兄。今なら、少しだけ分かる気がする。
私は、川の音に耳を傾けてみた。
そういえば、最近の私は“川を読む”ことばかりに集中していた。“川を聴く”ことを、いつの間にか忘れていたような気がする。
風が吹き、森がざわめく。遠くでカワセミの鳴き声。水面を走る小さな虫たち。その音のひとつひとつが、今の川のリズムだった。
「釣りは魚との対話だ」と、昔誰かが言っていた。いや、それは、私がいつか自分で思ったことかもしれない。川と魚と自分のあいだに、無理なく言葉が流れるとき。そのときにだけ、生まれる“出会い”がある。
私はもう一度、立ち上がった。
川に向かって話しかけてみた。少し馬鹿げてるかもしれないけれど、自然にそうしたくなった。
そして、リールからラインを引き出す。
もう焦らない。釣れなくてもかまわない。けれど、今日という一日を、もう一度“川とともに生きる”時間に戻したい。
足元に冷たい水が流れる。その感触が、胸の奥にまで染み込んでくるようだった。
昼を過ぎ、川の音に少しだけ重みが出てきた。
木漏れ日は角度を変え、倒木の影が深くなっている。森全体が、午後の静けさに包まれていた。私は、流れの緩やかなプールの手前で立ち止まった。そこは、昔から好きな場所だった。
倒木が流れに斜めに突き刺さるように沈み、水面にやさしく波紋を作っている。その下、沈んだ岩と反転流の境目に、何かの気配があった。
“定位している”と、そう感じた。
フライケースを開く。手に取ったのは、小さなクリップル型のパラシュート。ボディはオリーブ、ハックルは優しく水を抱くような柔らかい色。昨日の夜、自分の手で巻いたものだ。
ラインを引き出し、静かにロッドを振る。
風はなかった。フライは素直に空を描き、すっと水面に落ちる。ラインに余計なテンションはない。自然な流れに乗って、フライは倒木の脇を滑っていった。
そのときだった。
水面がわずかに揺れた。
はじけるような音ではなかった。まるで、そこに魚が“もともといたかのように”現れ、音もなく吸い込んだ。
手元に伝わる、確かな生命の重み。
私は反射的に合わせた。ロッドがしなり、ラインが水を切って走る。魚は深みに向かって潜った。竿の弾力が全身に伝わる。それは激しさではなく、重く、確かな“対話”だった。
水面を割って見えた魚体には、鮮やかな朱点が並んでいた。イワナだ。しかも、かなり良型。
流れに逆らって走り、倒木の奥へと逃げようとする。私はラインを緩めすぎず、しかし引きすぎず、呼吸を合わせるように竿を操作した。
時間が止まったような数分後、魚はついに力を抜いた。ネットに滑り込ませると、光をまとうような美しさが目の前に広がった。
深い青緑の背、腹にかけての銀白、そして点々と散る朱色の斑点。まるで山の色と空の色をそのまま映したような姿。
私は言葉を失って見つめた。釣れたのではない。出会えたのだ。そう感じた。
しばらく、魚と目を合わせる。もちろん、向こうは何も言わない。ただ、その静かな瞳が、「ようやく来たか」と語りかけてくるようだった。
「ありがとう」
声に出すと、魚がピクリと尾を振った。
そっと水に戻すと、イワナは少しの間、私の手のなかでじっとしていた。そして、ゆっくりと流れに溶けるように泳ぎ去っていった。
私はしばらくその場に立ち尽くしていた。何もせず、ただ、川と風と光のなかに溶けるように。
川の流れは、変わらないようでいて、毎年、少しずつ違っている。
石の位置が変わり、倒木が増え、苔の色が深まる。だけど、この渓に流れる“気配”だけは、昔と変わらない。いや、私がようやく、その静けさに気づけるようになったのかもしれない。
魚と出会ってから、私は何も釣っていない。
もう数時間、竿は振っていない。ただ川辺に腰を下ろし、水音と風のなかに身を置いていた。あのイワナの姿が、まだ目に焼きついている。あれほどまでに、静かで、深い出会いは、そうそうあるものではない。
釣れたというより、導かれた気がしている。
あの魚は、今日この日の、今この時間にだけ現れた。もしひとつでも選択を間違えていたら、私は出会えなかった。焦っていたら。流れを信じなかったら。フライを投げ続けていたら。
そう思うと、不思議な感謝の気持ちがこみ上げてきた。
かつて、私はただ魚を釣りたかった。結果が欲しかった。兄に褒められたかった。数を数えて、サイズを競っていた時期もあった。でも今、私はもう違う場所に立っている。
魚は、私にとって“記録”ではない。記憶だ。
その姿、その動き、その一瞬に込められた命の輝きは、写真や数字では収まらない。記憶として、私の中にずっと残り続ける。それが、何よりの宝だと思える。
ロッドをたたみ、川に向かって静かに一礼した。
「また来るよ」
声に出すと、風がそれを拾って森の奥に流れていった。
バイクで山道を下りながら、ふと振り返る。川の音が、まだかすかに聞こえていた。たぶん、私が死ぬまで、この音は心のどこかで流れ続けるだろう。
美しい魚に出会うたび、人は少しずつ変わる。
私はまた、来年もこの川に立つだろう。そしてきっと、今日とは違う何かを感じるはずだ。そういう釣りが、私は好きだ。
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